嫌いな人から逃げることは正しい

逃げちゃ駄目だ画像


患者さんを診ていると、人間関係のストレスが起因して体調を崩されているのかな…と思う事が多々あります。

「嫌いな人」とどう付き合っていくのか?これは生きていくうえで、かなり重大なテーマです。

千鳥は社会人になりたての頃、この点で悩んでいました。
が、内田樹先生のあるブログ記事を読んで目から鱗が落ちました。

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記事全文はこちら↓
コミュニケーション論二題
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特に腹に落ちた部分を一部引用します。
お悩みの方は、ぜひ記事全文を読まれることをおすすめしますm(__)m

「嫌いな人間」を我慢して、「この人にもそれなりにいいところがあるんだ」とか、「嫌いな人間を我慢して受け容れることが人間の度量なんだ」とか自分に言い聞かせ続けていると、「何かを嫌う」という感受性の回路が機能を停止する。
だって、我慢している状態を「我慢している」と絶えず主題的に意識していたら、つらくて心身が持たないからだ。
これは我慢ではない。私は平気だ。私は何も感じない。

…(中略)…

そうやって自分自身を騙すことなしには、我慢は続かない。
だが、恐怖と嫌悪は生物の生存戦略上の利器である。
「嫌う」回路をオフにするということは、コミュニケーション感受性をオフにするということであり、それは思っている以上にリスキーな選択である。

…(中略)…

「我慢する人」は、日々のコミュニケーションの中で行き来する非言語的シグナルの多くを受信できなくなる。
「こんにちは」という挨拶ひとつでも、それが儀礼的なものなのか、愛情や敬意のこもったものなのか、憎悪を蔵したものなのか…それを表情や速度や発声や姿勢から見分けることができなくなる。
「話の通じないやつ」「場の読めないやつ」というのは、要するにコミュニケーション感度の低い人間ということなのである。

コミュニケーション感度は生得的なものではない。
人は「イヤな仕事、嫌いな人間、不快な空間」を「我慢する」ために、みずから感度を下げるのである。
だから、「嫌いな人」と付き合ってはいけない。
じゃあ、好きな人とばかり付き合えばいいのか、気の合う人間とだけつるんでいればいいのか、そんな手抜きな生き方をしていて、人間的成長や他者への共感や想像力は育つのか…といきりたつ方がいるかもしれない。
それは短見というものである。

「気の合う人間」なんて存在しない。
「好きな人」なんて幻想でしかない。

これもまたあなたの生物学的なコミュニケーション感受性が選別している「コミュニケーション資源を優先配分した場合、リターンが比較的確実であると見込まれる個体」というにすぎない。
感度の悪いラジオで地球の裏側の短波放送を拾おうとしても無理である。
そんなことに四苦八苦するくらいなら、きちんと受信できる近場の情報に耳を傾けて、そこから世界の成り立ちと、自分の立ち位置を測定する方が賢明である。


世の中には「理不尽な人」も存在します。そういう人から逃げるのは恥でもなんでもないですよ。


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